「あいまいな哲学」か「決定的な哲学」か?

By Kousuke Takeuchi on 09 November 2013 | Comments (0)

昨日は寝不足でひどく疲れてたのか、今日起きて自分のメモノートを確認してみると哲学に関する考察が殴り書きされていたので、自分の思考についてまとめてみようと思います。

「曖昧な哲学」(= P) か、「決定的な哲学」(= Q) か?

(§) PかQのどちらが正しいかについて考察するにあたって、正当性を「人類の発展に寄与するかどうか」の観点で行うとする

(i) 人類の発展とは如何なるものか。そこで人類の発展史を抽象的に捉えてみるとしよう。よく学問の進歩のためには過去の叡智を批判的に捉えることが重要と一般的に言及される。そこで人類の発展を「過去の定理を変更する」こと、つまり創造的破壊こそ人類の発展であると狭義する。なぜそのように定義するのかというと、ある恒久的な定理が存在するとすると、その定理が扱う分野を完全に停滞させてしまうからである。

R したがって、ある時点tにおいてQ(t)が成り立ち、それをQ(t’)で変更するとする。(Q(t)の否定でなくとも) ⇛ 「人類の発展に寄与した」

このときRについて考える。Rの推論が真であるならば、Q(t) = Rのときはどのようになるのだろうか? Qを変更することが「人類の発展」となるならば、Q=Rのとき、Rを変更することも「人類の発展」となってしまう。したがって、Rからは自己矛盾が発生するため、R推論の真偽は決定的でない。

(ii) Rではなく次のSについて考えてみる。

S ある時点でP(t)が成り立ち、それをP(t’)で変更する ⇛ 「人類の発展に寄与した」

このようなSを考慮する事自体おかしなことは自明である。なぜならば、Pというのは「非決定的」なため、P自体の真偽がtにおいて特定できない。したがって、Sも非決定的である。

(i), (ii)より、(§)や「定理の創造的破壊が人類の発展に寄与する」という視点からはP, Qの正当性を決定出来ない。したがって、私は哲学を今回言及した「前提」で行っている者に述べたい。

あなたがたが鼻高々と学問している哲学というものは、本当に人類の進展に寄与しているのか? もう少しそのことについても考えても良いのではないのか。あなたが哲学者であるのならば。


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